本展について

芹沢銈介 《日本民藝地図(現在之日本民藝)》 1941年 日本民藝館

ローカルであり、
モダンである。

「民藝」とは、「民衆的工芸」を略した言葉です。民藝運動が生まれたのは、近代の眼がローカルなものを発見していくという「捻じれ」をはらんだ時代です。柳宗悦らは、若くして西洋の情報に触れ、モダンに目覚めた世代でありながら、それまで見過ごされてきた日常の生活道具の中に潜む美を見出し、工芸を通して生活と社会を美的に変革しようと試みました。

今回とりわけ注目するのは、「美術館」「出版」「流通」という三本柱を掲げた民藝のモダンな「編集」手法と、それぞれの地方の人・モノ・情報をつないで協働した民藝のローカルなネットワークです。民藝の実践は、美しい「モノ」の蒐集にとどまらず、新作民藝の生産から流通までの仕組み作り、あるいは農村地方の生活改善といった社会の問題提起、衣食住の提案、景観保存にまで広がりました。

本展は、柳らが蒐集(しゅうしゅう)した陶磁器、染織、木工、蓑、籠、ざるなどの暮らしの道具類や大津絵といった民画のコレクションとともに出版物、写真、映像などの同時代資料を展示し、総点数400点を超える作品と資料を通して、民藝とその内外に広がる社会、歴史や経済を浮かび上がらせます。

なぜ今、「東京」「国立」「近代」「美術」館で民藝の展覧会?

“第一に、近代美術館は官設であるが、民藝館は私設である。つまり「官」と「野」の違ひである。”
“近代美術館は「現代の眼」を標榜(ひょうぼう)してゐる。(しか)し民藝館は「日本の眼」に立たうとする。”
“近代美術館は、その名称が標榜してゐる如く、「近代」に主眼が置かれる。民藝館の方は、展示する品物に、別に「近代」を標榜しない。”
“近代美術館が今迄取り扱った材料を見ると、大部分が所謂(いわゆる)「美術」であって、「工藝」の部門とは縁がまだ薄い。”

柳宗悦「近代美術館と民藝館」『民藝』第64号 (1958年4月1日発行)

当館は、開館(1952年)まもない頃、晩年の柳宗悦からこのような「批判文」を投げかけられています。
たしかに当館の名称はすべて柳が対抗しようとしたものばかり。
(「東京⇔地方」/「官⇔民」/「近代⇔前近代」/「美術⇔工芸」)
われわれ東京国立近代美術館も、まもなく開館70年。民藝運動と同様に、時代とともに変化してきました。本展は63年前、柳から投げかけられた辛辣な「お叱り」を今、どのように返球するのか、というチャレンジでもあります。「近代」という時代と「美術」という領域を扱う当館の展示空間と民藝の間にいったいどんな化学変化が生まれるでしょうか。

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