菊池亜希子さんが聞きました!
ABOUT

そもそも民藝って?

よく耳にするけれど、「民藝」って一体なんだろう?
豊かな暮らしや伝統的な手仕事への興味とともに
今、ふたたび注目が集まる「民藝」について、
本展担当学芸員である花井さんと鈴木さんに
菊池亜希子さんがお話をお伺いしました。

今回お話をうかがったのは…

  • 鈴木勝雄KATSUO SUZUKI

    1968年東京生まれ。東京国立近代美術館企画課長。
    近代美術史専攻。「沖縄プリズム」(2008)、「実験場1950s」(2012)、「高畑勲展」(2019)などの展覧会を担当。

  • 花井久穂HISAHO HANAI

    1977年北海道生まれ。東京国立近代美術館主任研究員。
    専門は近代のやきものと美術。「のこす、伝える―「お宝」考今昔」(2008)、「没後50年板谷波山展」(2013-14)、「工の芸術―素材・わざ・風土」(2020)などの展覧会を担当。

01.

民藝とはゲテモノの美!?
今も昔も変わらぬナンダコレハ

  • 菊池

    民藝って、すごく気になるキーワード。だけど実際どういうものなんでしょうか?

  • 花井

    この言葉の定義は、難しいです。だからこそ今なお多くの人を惹きつけているところがあり、「民藝とは何か」とみんなが問いを立てる。
    そもそも「民藝」という言葉自体、生まれた当初から理解されにくいものだったようです。そこで、柳たちはまず「下手物(ゲテモノ)」という言葉を使って説明しています。骨董市のおばあさんたちが使っていた俗語で、「上手(じょうて)」つまり「高級品」の反対という意味です。普通、「美」といえば「非日常の」「上等なもの」ですよね。あえてそこを反転させて、「日常の」「普通のもの」。「下手物」という言葉のビビッドな響きのおかげで、「民藝」という言葉の認知が進んだ、という歴史があります。

  • 菊池

    ストレートにいいと伝えるよりも、人々の注目を集めてそこから良さを伝えていった。すごく斬新ですね。

  • 花井

    「下手物」は例えば、「印象派」が実は揶揄する言葉からはじまっていたのと少し似ています。この展覧会では「民藝」が社会の中でどのように変化し、受け入れられてきたかいう、そのおよそ100年を扱う、というスタンスです。

  • 菊池

    民藝という言葉は、「民衆的工芸」の略ですよね。手仕事ということですか?

  • 花井

    手仕事のなかでも、どんな種類のものを民藝というのか、最初から定義が厳密に決まっていたわけではなく、彼らは各地の民藝を発掘・蒐集する旅のなかで、その範囲を定めていったところがあります。柳自身、「民藝」という言葉を英訳するときも、最初は「民藝 Folk Art」と併記しているのですが、なんだかしっくりこない。「民藝」という言葉誕生から10年経ってもまだ「Normal art」とか「Ordinary articles」とか、さまざまな英訳に置き換えて説明しています。最終的に1936年頃には「Folk Crafts」に落ち着くのですが。

定義しきれない懐の広さ
それも民藝の魅力

  • 菊池

    民藝の本を読むとだいたい実用性、無銘性、複数性といった9つの定義のようなものが載っていますよね。それによると民藝は名を立てるためのものではないと書いてあるけれど、私が持っている民芸品ぽいものって作家さんの名前が前に立つものが多いんです。

  • 鈴木

    実は、9つの民藝の定義を柳が提唱したのは、後になってから。「民藝」という言葉を発表したときにはまだ手探りの状態だったと思います。人々の反応をみながら事後的に定義を明確にしていった。

  • 花井

    柳たちの蒐集した「民藝」のなかには、この定義に当てはまらないものもありますし、たとえ9つの特性が全部当てはまっていたとしても、「民藝」としてセレクトされていないものもあります。「無銘性」と「民藝」の「個人作家」という言葉自体、矛盾しているといえば、そのとおりです。

  • 菊池

    たとえば旅先で作家さんのお皿を見つけて、いいなと思う。でも、持ち帰ったときには、その作家さんの名前はちょっと後ろに下がっていて、前にあるのはその土地の風や記憶。もう、これは私にとって民芸品と呼んでいいのかもしれませんね。

  • 鈴木

    民藝でも民俗学でも民家でも、そこに共通する「民」という言葉は、郷土的なものと結びついていますね。だから今おっしゃられたように、地方的あるいは郷土的な背景を持っているということは、民藝の条件の一つになっていたはずだし、当時の言葉の響きとして懐かしさみたいなものが喚起される言葉だったのかもしれません。

私がチェーン店よりも、喫茶店に吸い込まれてしまうのは、なぜなのだろう。そう考えたとき、そこには切り取りたくなる情景があるからだ、という考えに行き着いた。そこにしかない空気感や土地性。喫茶店のマスターにその自覚はないかもしれないけれど、民藝的なものの根本にあるものは、そういう目線なのかもしれないと思う。

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